朝 6時30分〜
夕 17時〜
宝浄寺は日蓮大聖人の教えを正しく伝えてきた、日蓮正宗総本山大石寺の末寺(地方寺院)です
日蓮大聖人の御入滅の地である大田区に昭和39年(1964年)12月21日、総本山66世日達上人により建立されました。
現代における信仰とは、御朱印巡りやパワースポット巡りなどの観光的一面から、先祖への供養、あるいは神仏への加護を求めて願をかけるなど、様々な形があります。 しかし、本来信仰の目的は、一人ひとりの人間としての生命の救済、 人生における、いかなる苦悩にも打ち勝つ智慧と活力を与え、真実の幸福を築き、人生を全うするところにあるといえます。
仏法では『法華経』の経典に「憂悲苦悩」という言葉があります。
「憂」とは、思うようにいかず、つらいこと。
「悲」は、悲しみの心を持つこと。
「苦」は、あらゆる種類の苦しみのこと。
「悩」は、悩みをかかえること。
これらの憂悲苦悩は、人間としての生命活動において、様々な形となって付いて回るとされ、常に苛まれています。
これらは過去・現在・未来の三世における、原因と結果(因果)の法則によって起こるものであり、 現在身に起こる苦悩も、過去の自身の行いによる結果なのです。 善き行いをすれば、善き結果として、また、悪い行いをすれば、悪い結果となって、自分自身へと還ってくるものです。
宗祖日蓮大聖人の仏法では、これらを根本的に解決に導く道理として、法華経の肝心である『南無妙法蓮華経』を弘められ、さらには、究竟の御本尊(曼荼羅)を顕されました。
私たちは、正直な命で、御本尊に向かって南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、御本尊に具わる功徳を授かり、いかなる苦悩にも打ち勝ち、強い生命力と正しい智慧を得られるのです。
その大きな一歩によって、必ず一生成仏、真の幸福境界へと導かれていくのであります。