宝浄寺は日蓮大聖人の教えを正しく伝えてきた、日蓮正宗総本山大石寺の末寺(地方寺院)です。日蓮大聖人の御入滅の地である大田区に昭和39年(1964年)12月21日、総本山66世日達上人により建立されました。
宝浄寺の正式名称は「日蓮正宗 佛国山 宝浄寺」でありますが、この宝浄寺の名称の由来は総本山67世日顕上人の次のようなお言葉にあります。
『この宝浄寺の「宝浄」とは、法華経に説かれてある重大な滅後末法流布の、いわゆる令法久住・広宣流布を釈尊が遺命されたその発起となった因縁が多宝如来の出現に存するのでありますが、その多宝如来の本国土が宝浄世界と言われております。
(大白法平成17年(2005年)12月1日号)
いわゆる当山の仏国山宝浄寺という名称の意義がそこに存しておると思うのであります。』
大田区は宗祖日蓮大聖人御入滅の地として日蓮大聖人、富士門流(当時の日蓮正宗の呼び名)ととても縁が深い土地です。大田区内に池上という地名がありますがこれは、日蓮大聖人御在世の頃の信徒の名前が残ったと言われています。また江戸時代の六郷領の代官で六郷用水を治水した小泉治太夫も、静岡の富士宮出身であり富士門流の信徒であったそうです。(参考:東京府民政資料頁14)
時が経ち昭和初期に大田区在住の信徒宅にて頻繁に宅御講が開催されました。その際品川の妙光寺復興二代、有元日仁御尊能化(大慈院日仁贈上人)が御尊師を使わし教宣に励み信徒数が増加、昭和7年に大田区大森に城南教会所が落成されました。(妙光寺百年史頁55)しかし太平洋戦争により教会所は消失してしまいました。
その後昭和30年代に入り、日蓮正宗の信徒は更に増加しました。当時大田区在住の信徒は品川の妙光寺、もしくは目黒の妙真寺に参詣しておりました。しかし日蓮大聖人に縁のある大田区に寺院建立の要望が多くあり、昭和39年12月21日に宝浄寺が建立されました。
日蓮正宗は、総本山大石寺に700年来大御本尊を厳護しつつ、大聖人の三大秘宝を広宣流布し、人々の真の幸福と平和な世の中を築くことを目指しています。日蓮正宗は霊感商法やお守りの販売、悪質な宗教活動等は一切行っておりません。悩みが尽きない方、自身や家族の幸せを真剣に願い実践したい方、葬儀や墓地についてお困りの方、是非当山へお越し下さい。